キャップの溝にこびりついた何か

剥がすの楽しいよね

舞台 ヨルハVer1.3a at サンシャイン劇場

 ゲームが、好きで。ヨルハ部隊をモチーフとした舞台があることは知っていたけど、今回ようやく行くことができた。

 真珠湾降下作戦に救いがないことは知っていた。むごいのは、死んだ者たちよりも生き残ってしまった者たちだということも。

 舞台シナリオの事前情報は得ずに行った。ゲーム中での真珠湾降下作戦のノベルを読んだのも、もう2年前だ。あやふやな記憶の中、それでも凄惨な作戦を生き残ってしまった二号とアネモネが舞台でどう生きるのかが見たくて、劇場に足を運んだ。

 

yorha.com

※ゲーム「NieR:Automata」内で描かれる同作戦をなぞる形で感想を書くので、まったくネタバレされたくない方は未読推奨です。

 

全体的な感想

 観劇後の感覚は、”脱力”だった。

 絶望から始まり、絶望に終わった。真珠湾降下作戦は、そういうものだ。地球に降りたヨルハ部隊に、晴れやかな希望など、用意されてはいないのが真珠湾降下作戦なんだと、知っている。

 彼らと作戦を共にするレジスタンスたちも、それを逃れることはない。いっそ、玉砕の覚悟でいえば、ヨルハよりもずっと強くその意思を持っていたのかもしれない。ローズ隊長の口ぶりには、それをわずかに感じられる含みがあった。何百年と緩やかな下り坂の中にあった彼らからすれば、ヨルハの存在とヨルハが成し遂げようとしたことは暗闇の中にたらされた蜘蛛の糸だったのだろう。蜘蛛の糸だとわかっているからこそ、すべての仲間が引き上げられることはないと理解していた。

 ヨルハは、レジスタンスたちとの関わりの中で、自らの生き方を問うようになる。

『なぜここにいるか』『ここで何を為すのか』に、「作戦」以上の意味を見出そうとする。「名前を持つことが禁じられている」、自我を許されない存在に禁忌を与えたのは、まぎれもないレジスタンスたちだ。

 それは、真珠湾降下作戦の成功には欠かせない要素だったけれど、ヨルハ当事者にとっては、さらなる苦しみ以外の何物でもない。

 ただ、その苦しみの果てで至った結末には、誇りと、意思がきらきらと光っていた。

 

二号とアネモネ

 ゲーム版真珠湾降下作戦の生き残りだった二人は、ゲームで実際にその姿を見ているだけに、特別な存在だった。

 二号は真相を知る者として。アネモネは死にそびれた者として。

 それぞれはその後長い間再会することはなく、ゲーム内の時間軸でようやく互いの生存を認識する。ゲーム内では、そうだった。これ以上は言わないけれど。

 二号は、私の知る二号がそこにいた。二号は、その特性故に、どこまでも苦しめられ続けることになる。このあたりについてはゲーム内と設定が共通している節があり、説明も詳しい。苦しみながら、戦う理由喪ってから得た刃は、美しかった。

 今回の舞台で強烈に記憶に残ったのが、アネモネだった。今回の当初の目論見を差し引いても、この結論は変わらなかっただろうと思う。

 登場の瞬間から、さいごまで、とてつもなくカッコいい。無口なようで、不足はない男だった。聡い男だった。感情を抑え、合理的に動けるが、その手段をとった己に傷つかない男ではなかった。

 二十一号、ダリアとのストーリー上の関わり方が、つらく、切ない。

 中央~上手席で見た二十一号とのあのシーンは、思わず喉がひきつった。

 あの後彼が選んだ道は、彼だからこそだなあと思う。

 

さいごに

 どのキャラも、観劇前の想定よりずっと好きになって終わった。ストーリーは、まだ落とし込むのに時間がかかりそうだ。あの話は、長い時間をかけて考えて、どこかにしこりとして残っていく、そういうものだと思う。

 何も買うつもりなかったのに、結局手元には

・パンフレット

・複製台本

・過去ヨルハBlu-ray

アネモネのブロマイド

 がある。いや上3つはなんだかんだ買う予感はあったけど、よもやブロマイドまで買ってしまうとは。

 そして記録にも残しておきたくて、久々にブログを書く始末。

 楽しかったとか、感動したとか、そういう括りの作品ではないのだけど、生の目で見たヨルハとレジスタンスの生きざまは、泥臭く、美しく、忘れがたい。

 それでは。

 人類に栄光あれ。